PICNICリターン面白メール第2回よりキムラヤスヒロ氏による寄稿


※クラウドファンディングサイトPICNICのリターン、
面白メール第2回よりキムラヤスヒロ氏による寄稿を抜粋

キムラヤスヒロ a.k.a.鳩
fdrbdr

●ツイッター
https://twitter.com/fdrbdr

●公式メールマガジン「インターネット伝書鳩」
http://www.mag2.com/m/0001372750.html


■この度、「spa wars」のPICNIC特典の面白メールにこうしてお邪魔させていただくことになった。

あらかじめ「面白メール」などと銘打ってハードルを上げておきもし面白くなかったらどうするつもりなのだろうと思っていたが、これを打っている間に届いた第1弾は、なるほど面白かった。さすが期待を裏切らない人たちである。

先日、面白メール第2弾を書かないかとの打診をいただきその時は正直「まあ、面白くなくても許されるだろう」と二つ返事で了解したのだがこの第1弾を読む限り、僕もそこそこ面白いものを書かなければいけない。

よくよく考えれば、このメールもリターンとしてあらかじめPICNIC上で提示された特典の一つでありもしかしたらこのリターン目当てでPICNICした奇特な方も中にはいるのかもしれない。…140万円のうちの数%がこの僕の筆にかかっている。そうした自覚をいくばくか抱えて筆を取る次第である(以下の見解はすべて僕の私見であり、トーニャハーディングとは一切の関係がない)。


■さて、彼らトーニャハーディングは、上述のようにハードルを上げるのが好きだ。今回の「spa wars」も、プレスCDではなくレコード(アナログ盤)のみという強気な形でのリリースとなった。

そのレコード製作にあたっても、面白メール第1弾にある通り単にお任せでプレスして終わり、というのではなく一流のマスタリング職人のもとでラッカー盤を作るというこだわりを見せている。そして、「そうでなければ音質がCDと同じになってしまって意味がない」という趣旨のことをトーニャ石垣さんは書いている。

このことから分かるのは、彼らの「レコードで出す」という行為は単にモノとしてのインパクトを目当てにCDやデータでなくレコードを選択した、ということを意味しない、ということだ。

では他に何があるか。それは、推測するに「音の良さ」である(「音質」と表現するときっと争いが起きるから、こうした表現であえて濁させてもらう)。それは当然、CDでは再現しきれない「音の良さ」だ。


■この「あえてレコードで発売する」という行為は、今回のトーニャハーディングの活動だけにとどまらず一つのムーブメントとなりつつある。

たとえば、ここ最近はtofubeatsに代表される若いアーティストたちがアナログ盤で作品をリリースする例が散見される。彼らの多くは既にCDが全盛となった時代の生まれだ。

僕もその一人だが、そうした時代に生まれた多くの人間にとって、レコードとは「昔そういうものがあったんだよ」という、おとぎ話の中に登場する一つの遺産でしかない(今現在レコードを操っている同世代がいたとしても、それは音楽に興味を持った結果そうしているのであって、幼い頃からレコードで新譜を買い、聴くという生活をしていたわけではないはずだ)。

そうした「レコードが音楽生活の中心だった時代」を知らないアーティストが「わざわざ」レコードで作品を出す。これも推測になるが、そこにはやはり単なる「モノ感」や憧れより先に「音の良さ」があるはずだ。


■プレスの条件にもよるが、究極的にはレコードの方がCDなどの光ディスクよりも良い音を出せる(ここは争うとキリがないので、そうだという前提で聞いてほしい)。

CD全盛期だった90年台やゼロ年代前半にも自身のアルバムをCDとアナログ盤で同時リリースするアーティストがいたがあれは決して奇を衒ったのではなく(もちろんそれもゼロではないだろうが)、そうした明確な意図があったのだろう。

では、なぜ「音の良さ」で劣るCDが、より良い音を出せるレコードに取って代わったのか。それは端的に、コンパクトで便利、製造が容易で生産コストも低いからだ。要するに、CDの方がラクなのだ。

巨大なレコードは電車の中で聴くことはできないが、CDであればウォークマンで聴けるし、「カセットテープに比べて」音質が良いし、劣化もしにくい。この「カセットテープに比べて」という部分は強く、生産コストの低さもあいまって耐久性の面でレコードに遥かに劣るCDは、レコードをあっという間に駆逐した。

その結果、トーニャハーディングも今回苦労した通りだがレコードを大量生産できる施設は日本国内から姿を消し、重要なラッカー盤ですら、ごく一握りの職人の手を借りなければ満足のいくものを作れない時代になった。

結果として、確かにCDはレコードを駆逐した。しかし、先に述べたように音楽メディアとしては、CDはあくまでレコードの「代用品」なのである。消費者にとっても生産者にとっても便利さにおいて上回るCDが総合点の要求される市場社会においてレコードに勝利したにすぎず、CDは根本的な「音の良さ」でレコードを下したわけではなかった。


■ところが、ゼロ年代も中頃になると、その「CDがレコードを駆逐した理由」をより便利な条件で満たす媒体が現れた。iTunes Storeを筆頭とするデータ販売である。

コンパクトどころか、そもそも目に見える形がない。形がないから「製造」は必要なく、ゆえに生産コストも存在しない。そうなれば、かつてCDがレコードをそうしたように音楽データの販売がCDを駆逐するのは、もはや必然といってよかった。

実際、「CDが売れない」という現状は誰もが知るところとなっておりここ数年のヒットチャート上位を席巻するのは「CD付き握手券」と揶揄される、いわば食玩の「おまけの」ガムのような扱いのCDである。

だが、そのデータも、「音の良さ」という指標で考えればあくまでCDと「同等」でしかない。CDが機器を通じて再生しているデータを、CDという中間項を介さずに再生しているだけであり結局、レコードに「音の良さ」で勝利することはできていない(ところで、よく「データは味気ない」と言いながらCDをしたり顔で聴く人がいるがCDに記録されているのは、その彼が言うところの「味気ない」デジタルデータである)。

つまり、先ほど、CDはあくまでレコードの代用品だと書いたがデータ販売もまた、レコードの代用品なのである「音の良さ」においてレコードが最上位であるという関係は、今でも変わっていない。


■そうすると、流通が発展し今やどこに住んでいてもほとんどのモノが手に入る現代にあっては便利な代用品でなく、「本物」が欲しくなる(そして、作りたくなる)。

かつては不便さ故に便利な代用品が必要だったかもしれないが、今やその代用品によらずとも立ち行けるだけの便利さが社会に整いつつあるからだ。

そして、「代用品」は、要るにしても一つでいい。今後さらにデータ販売はCDを駆逐するだろう。すると、これまで「CD対データ」の関係で数多く語られてきた「有体物と無体物」の議論は発展的に解消し、やがて、「『本物』であるが、少し不便な有体物」対「『代用品』であるが、とても便利な無体物」という、互いを認め合える議論に洗練されていく。

そう、レコード、つまり「代用品」でない「本物」への回帰である。信じられないかもしれないが、レコードがCDに取って代わるのだ(補足すると、これまでのCDはゴミにはならない。Blu-rayなどの光ディスク規格が生き続ける限りはかつてのレコードプレイヤーのように再生機器が家庭から失われることはないからだ)。

でも、これが単なる懐古主義的な流行ではなく、ごく自然な、そして極めて合理的なものであるということはここまで読み進めてくれた人には理解してもらえるだろう。

だから、このアナログ回帰の流れは今後もっと加速する。数年か、あるいは10年かかるかは分からないが、それは間違いない。

今回のトーニャハーディングのレコード製作を「飛び道具」として笑っていた人たちは後になって、彼らがレコード再興の嚆矢であったことにやっと気付き、そして悔やむことになる。

目に見えないデータとしてではなく、形あるもので訴えたい。そうした人間としての当然の欲求をレコードは満たしてくれる。それにとどまらず、「本物」であるレコードは音楽を作り、そして愛する者であれば最も重視したい点である「音の良さ」さえも兼ね備えている。だから、いま「モノであること」を重視してデータよりもCDに意味を見出している人たちは、きっといずれアナログ盤で作品をリリースするようになる。

そして、そうした音楽を愛する人はみんな「レコードの方が良い、データの方が良い」という二者択一の争いに意味はなく両者は共存できるということを誰よりも理解している。


■トーニャハーディングがなぜレコードで「spa wars」を作ったのか。そしてレコードが再生できない人のために、なぜCDではなくデータを用意したのか。その答えはもはや、言うまでもないだろう。